星だけが僕を見ていたvol.9
9、深く沈みこむ僕の音
人は多分希望を追い求める生き物だと思う。それはきっと絶望を恐れる事の裏返しで、絶望を見たくないから希望にすがるといったものだと思う。あの時の僕の周りには見ていたい希望などほとんどなかった。僕の現実は、距離のできてしまった予備校の友達と受験勉強だけだった。親友のはずだった黒田君とも何を話したらいいのかわからない。他のライブのメンバーにしても、亜季さんを含めほとんどが受験生だったし会う理由もなかった。少なくとも自分から何かをしようという気にはなれなかった。この状況に僕はひどく孤独を感じた。本当なら誰かに話を聞いてもらったり、どこかに遊びに行ったりすれば良かったのだろうが、それが出来ないのが自分だった。人に頼るのが下手なのだ。
こうして僕は一人で思い悩んでいき、そしてその悩みは変わらぬままにただ深くなっていった。
ライブから三日ほど経った日だっただろうか。予備校の帰り、電車を待つ間僕はホームのベンチに腰をかけ、ずっと何かを考えていた。それとも何も考えていなかったのかもしれない。その駅を通過する急行電車が近づいてくる音がした。そこに飛び出していく影。その影は猛スピードで横切る電車に跳ねられ、四散した。ホームに人間の内容物がビチャッと落ちる。脳みそか、それとも内臓か。高校の時の友達から聞いた目撃談の映像がそこに広がっていた。
急行電車が去り、僕は気付く。自殺しようとする人の気持ちというのはこういうものなのだと。自殺の理由として、失恋やいじめ・受験苦などがあるのは頭ではわかっていても、僕は本当の意味ではわかっていなかった。自分がさっきイメージした影は僕の願望だった。
「死にたい。」
そんな言葉は僕の頭の中には全く浮かんでいなかった。ここで初めてそれを自分自身に疑った。僕はこんな事で死んでしまうのだろうか。
「まだ、死ねない。」
各駅停車が来る頃には僕にはその決意が固まっていた。そして僕は待つ事にした。あと十日後には亜季さんの文化祭がある。そこにみんなで行くという話があったはずだった。
「そこで亜季さんに話して誤解を解くんだ。」
僕は死なないことだけを決意し、ただひたすらに「その日」を待った。
それからの日々、僕は毎日のように図書館に通い始めた。でもそれは勉強をするためではなく、本を読むためだった。亜季さんからもらった手紙(僕はそう呼びたい)に書いてあった本を片っ端から読みあさったのだった。それが亜季さんと繋がれる数少ない手段の一つだったからなのだが、そのどれもが僕の心を強く動かし、僕の肥大した感受性を捕らえ離さなかった。あの頃、僕は間違いなくあの本の物語や登場人物達に救われてなんとか文化祭の日まで生き永らえる事が出来たのだと思う。
当日は追悼ライブのメンバー全員が来られることになった。とりあえず亜季さんを除いたメンバーが駅に集まり、その後亜季さんと高校で落ち合った。
二週間ぶりに会った亜季さんはいつも通りだった。といってもその日にライブがあったのでいつもよりは興奮気味だったかもしれない。でもとにかく僕にとっては亜季さんが元気だという事だけが大事な事だった。
僕がここに来るまでに決めてきた事は二つ。出来るだけ「いい友達」を演じる事と、誤解を解くことだ。僕にとって好きな人に嫌われる事以上につらい事はなかった。好かれる事は無理でも、何とか嫌われているかも知れないこの状況からだけはどうしても抜け出したかった。
亜季さんに案内される形で文化祭を見て回った。その途中で亜季さんの後輩で亜季さんのファンだと言う子が「頑張ってください!」と亜季さんにはしゃぎながら話しかけに来たりしていた。亜季さんによると、そういうファンみたいな子が結構いるらしかった。周りに担がれたら自ら乗っていってしまうようなところもあって、その明るいキャラと相まって高校でも人気者である事が容易に想像できた。
また、今度は「前に話してたゲイの子。」という男の子と仲良さそうに喋っていた。僕は生まれて初めて「男の子が好きな男の子」を見たので、意外に普通の子なんだ、という印象を持ったのを覚えている。「仲良いの。」と亜季さんも言っていたが、その時の僕にはゲイの子と亜季さんが仲良しという関係が不思議に感じた。しかし、ともかくもその男の子の話を聞いたのは二人が付き合っていた時だったので、その話題を僕に話してくれた事が嬉しかった。
その後、体育館でやった亜季さんのライブを見た。元気に歌いながら亜季さんが登場すると、最前列に陣取っていた女の子達の声が響いた。椎名林檎のカバーを次々に歌っていった。ギターの人がカポをなくしてしまうというアクシデントもあったけれど、結局キーを下げて乗り切った。最後まで亜季さんはとても楽しそうだった。
ライブが終わると亜季さんはまたこっちに戻ってきたが、メンバーもライブが目当てだったので皆で帰る事になった。皆がトイレなどに行ってる間にたまたま亜季さんと二人になる時があった。今しかないと思った。
「二週間どうしてた?ライブの準備とか?」
「うん。だいたいそうかも。」
そういう事が聞きたいんじゃない。そう思いながら、僕は何とか真面目な話をしようとした。
「今は、どう?好きな人とか出来た?」
「…ううん。当分は好きな人は出来ないと思う。」
「…うん、そうか。でももったいないと思うんだけどなぁ。」
「そっちが黒田と張り合ったりしたのがいけなんじゃない。」
「違う!それは違うんだ。」
自分の話したかった事が不意に亜季さんの口から放たれた事に驚くよりも、真っ先に僕は亜季さんの言葉を否定していた。
「張り合うとかそういうのは全然違うんだ。」
黒田君が勝手にそんな事を言ったんだ、とか、それ以上の事は言えなかった。そして亜季さんも何も言わず、ずっとそのままだった。僕は亜季さんの無言の意味を知っていた。誤解は解けたのだと思った。
そうしているうちに皆も戻ってきて、亜季さんと別れ、高校を後にした。僕は最初に決めていた二つの事を何とか果たす事が出来た。しかし誤解は解けたはずなのに何故か心は晴れない。僕は何かやり残した事でもあったのだろうか。
結局、文化祭の日から何日たってもそれまでと状況は変わらなかった。その事実はあの文化祭の日に全ての期待をかけていた僕にとって重い事だった。僕に残されていたのは何ヶ月も先にある受験のための勉強だけだった。気軽に会える友達は一人もいなかった。何も変わらなかったのだ。
それから一ヶ月の事を僕はほとんど覚えていない。