星だけが僕を見ていたvol.8
8、共振
NYの同時多発テロの二年前にあたる一九九九年九月十一日。町田のライブハウスで「小林慎一追悼コンサート」は行われた。
最後の追い込みでかなりのスタジオ練習をしたが、練習不足、もしくは実力不足は明からだった。しかし、やるしかない。最初は実現するのかどうかも半信半疑で始まった練習だったけれど、最後の方は「これをやらなければ何も始められない。」というような気持ちになっていた。それはきっと他のメンバーも同じだったように思う。このメンバーは皆小林君に対して特別な想いを抱いていることだけは間違いなかった。彼に対する気持ちはそれぞれに持ちながら、ただこのライブを成功させようという強い気持ちで一つになっていたと思う。
お客さんも高校の友人や自分達の家族を中心に二十人ほど来てくれた。ただ、小林家の人を呼ぶ事は最後まで悩んだが結局やめておく事にした。もっと家族、特に母親が落ち着いてから「こんな事をやったんですよ。」と何年後かに言うだけで十分じゃないか、そういう結論だった。元々これは僕達の自己満足で始めたことだ。小林君のためじゃない、だって彼は死んでいるからだ。ただ、自分達のために、そして彼の死を悼む全ての人に向けて演奏するコンサート。自ずと自分達の中でそんな想いが出来ていた。あとはやるだけ。
控え室で、体育会系のクラブがやるそれのように、皆で円になって手を合わせた。僕らはいつになく興奮していた。黒田君が言う。
「慎一もきっと見てるよ。」
「いや、こんな恥ずかしいのあんまり見られたくない。」
細川さんがそんな事を言う。
「四十九日終わっちゃったから、もう居ないかもね。」
僕も的はずれな事を言う。
「お前ら、気合い入れてけよー。」
高い声で勝さんがおどけたように言う。亜季さんや長江君も笑顔でうなずく。まるでテレビドラマのようなやりとりをしている自分達。それが不思議でそれでいて気持ち良かった。
まず勝さんのピアノ演奏からコンサートが静かに始まる。そしてメンバーを代表した長江君のあいさつの後、いよいよメンバー全員でのバンドの演奏が始まった。
一曲目はジュディマリの「そばかす」を亜季さんが歌った。
「思い出はいつもきれいだけど それだけじゃおなかがすくわ
本当はせつない夜なのに どうしてかしら?
あの人の笑顔も思い出せないの」
亜季さんはそう歌った。思い出にすがらない、前を向いた歌。この曲だけじゃなく、ほとんどの曲を僕達は「前向き」な歌を選んだ。この世に君が居なくても僕達は強く生きてゆく。そんな想いをこめて。
僕はMr.Childrenの「I’ll be」「Tomorrow never knows」の二曲を歌った。
特に「Tomorrow never knows」は黒田君が選んだ曲ではあったけれど、僕にとっても今の状況とひどくシンクロする歌だった。
「無邪気に人を裏切れるほど何もかもを欲しがっていた
分かり合えた友の愛した人でさえも
償うことさえできずに今日も痛みを抱き
夢中で駆け抜けるけれどもまだ明日は見えず
勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
(中略)
やさしさだけじゃ生きられない 別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう この長い旅路のどこかで
果てしない闇の向こうに手を伸ばそう
癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて
少しぐらいはみ出したっていいさ 夢を描こう
誰かのために生きてみたって Tomorrow never knows
心のまま僕は行くのさ 誰も知ることのない明日へ」
僕は無邪気に亜季さんを求めて、でもそれは黒田君への裏切りだった。小林君や黒田君が愛した人を欲しがっていた自分。「別れを選んだ人」とはカコさんだろうか?小林君の事だろうか?僕は何か泣き出したくなるような気持ちをこの歌にこめた。僕もまた、前に進みたかった。
その後も長江君が歌うバンド曲や黒田君が気持ちを込めて弾くクラシックのピアノ曲などが続く。そしてその途中、亜季さんが「慎ちゃんに聞かせる」と約束していたピアノ曲を弾いた。
ステージに出る前に黒田君と僕とで緊張していた亜季さんを勇気付けようとしたのだけど、亜季さんは黒田君の方ばかりを頼っていた。そういう時にまた自分の痛みを思い出していた。
一時間半ほどのコンサートの最後の曲は、小林君が好きだった、僕達にとっての思い出の曲でもあるTMNの「Still Love Her」だった。演奏を始める前に細川さんがマイクを取って最後のあいさつをした。
「本日は小林慎一の追悼コンサートにおいで頂きありがとうございました。私達はそれぞれに故人を思い、彼の好きな曲を演奏する事に決めました。メンバーの半分が受験生という事もあり満足に練習もできず、お聞き苦しい所もあったと思います。次が最後の曲になります。この曲は「Still Love Her」というのですが、小林君を思い、本日だけはこの曲を「Still Love Him」とさせて頂きます。それでは最後の演奏をお聞き下さい。」
曲名を変えるなんて、皆初めて聞いた。さすが細川さんだと思った。
「歌を聞かせたかった 愛を届けたかった 想いが伝えられなかった」
何度も出てくるこのフレーズに僕らの思いは託された。きれいで、それでいて優しいメロディに乗ったこの詩を、皆きっと小林君を思い浮かべながら歌っていただろうと思う。
「もしあの時が古い映画の街並みに染まる事が出来たら 君を離さなかった」
「もしこの歌を君がまだ覚えていたら 遠い空を見つめハーモニー奏でておくれ」
「歌を聞かせたかった 愛を届けたかった 想いが伝えられなかった」
そう歌って僕らの追悼コンサートは閉幕した。
打ち上げは町田の街に出て見に来てくれた人と一緒にカラオケに行った。久し振りに会う高校時代の友達もいたし楽しい時間を過ごしてはいたが、やはり意識は亜季さんに向けられていた。この日の亜季さんの選曲はかつてカコさんが歌っていたものがいくつかあり、二人の関係を改めて考えたりもした。ただこの時になって気付いたのは、僕にはもう時間が無いという事だった。もうバンド練習はない。亜季さんに会えない。でも最後のチャンスだけは残されていた。
帰りの電車の中で僕らは二人きりになれた。しかし自分なりには努めて明るく話そうとはしても、もちろん今の二人の関係ではその会話がはずむ事はなかった。でも、だからこそ話を切り出すチャンスはいくらでもあったはずだった。あれは誤解だと。亜季さんと付き合ったのはあんな理由であるわけがないと。
だんだんと亜季さんの降りる駅が近づいてきているのに、僕は何もできていないに等しかった。そして
「それじゃ。」
と言い、亜季さんはホームへと降りていく。僕はそれを追いかける自分を一瞬でイメージした。しかし、実際には僕の足は動かず、そのままドアは閉まってしまった。そのドアの閉まるその様子とその音は、亜季さんからの拒絶を示すかのように感じた。追悼ライブも終わり、亜季さんも居なくなり、僕はこの後の人生をどう生きていったらいいのかがわからなかった。そしてそれに自分で気付く事さえ出来ないまま、暗闇の中に一人でいるような日々が始まった。