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特集記事

星だけが僕を見ていたvol.11

11、歌を聞かせたかった

 僕は翌年の2000年4月に横浜の大学に進学した。あの時亜季さんに会ってから、もう半年が過ぎようとしていた。

僕はあの日以後「このままではいけない」と思い、また予備校の友達と一緒に勉強するようになった。なんと言って戻ればいいのかもわからなかったので、最初は近くの席に座るようになり、その後は普通に喋れるようになった。みんなが僕の事をどんな風に思っていたのかは付き合いの無くなった今となってはわからないが、僕を拒絶しなかった事だけは確かで、大学に合格できたのは間違いなく予備校のみんなのおかげだった。

 亜季さんとは受験前の一月に受験生のメンバー(他には勝さんや長江君)だけで集まった時にもう一度だけ会った。亜季さんは「好きな人が出来た!」と言って嬉しそうだった。聞いてみると前に一緒に歩いていた人とは違う人だったのだが、とにもかくにも亜季さんに好きな人が出来た事は僕にとっても嬉しい事だった。あんなに亜季さんの事を求めていたはずなのだからおかしな事に聞こえるかも知れないけれど。

 大学に入学すると同時にうちは家族そろって引越しをした。今までの築三十年近かった家から、建ててから五年と経っていない家に移り住んだこともあって、僕はまた新たな気持ちになれた。しかし、それ以上に僕を変えたのは大学生という自由な生活だった。

 僕は黒田君と同じ大学に進んだのだが、黒田君が昔入っていたサークルを紹介され、結局そこに居着いてしまった。新歓の飲み会が活動の度にあり、生まれて初めてバカになって遊ぶという事を知った。ただ、楽しかっただけでなく先輩も皆優しくいい人達ばかりだった。小林君のことも二人の先輩に少し話した事もあった。それは僕の心を軽くする要因の一つになった。全く事情を知らない人にその事を話しても「そうなんだ。」という感じで意外に気にされなかった事が逆に良かったのだった。

 大学には地方から上京してきた子も多く、いろんな人と出会えた。特にサークルでは飲み会があったので朝までいろんな事を語り合った。特に、高校時代にプロのスタジオでレコーディングもした事がある男の子と話すのは面白かった。その人とバンドを組むことも決まり、毎日が楽しかった。僕の未来は大きく拓けているような気がした。

 五月十五日。僕は黒田君に呼び出され横浜に向かった。北鎌倉に墓参りに行くためだ。横浜で待っていた黒田君の隣には見知らぬ女の子がいた。その時は遠い親戚だと言っていたが、どうやら付き合っているように思えた。その子と少し喋った後、花とお酒を買って黒田君と僕の二人で北鎌倉に向かった。

 黒田君との関係はその時特に悪い関係ではなかった。それというのも僕は前の年の十一月半ばに一度本気で怒った事があったからだった。それは、小林君や亜季さんに関する事ではなかったが、その時、まだどこかに残っていた黒田君への蟠りまでを吐き出した気になってしまった。結局、その日のうちに仲直りをした形になり、それからもたまに二人で会い、大学に入ってからも週に一度くらい一緒に昼食を食べる関係だった。

 駅に着くと、かすかに小雨がぱらついていた。僕らは長い階段を登り小林君の墓の前に立った。花を活け、墓に水をかけた。そして三本の酒を取り出した。三人で二子玉川に集まったあの日、小林君が飲んでいた、甘い林檎のお酒だ。

 「誕生日おめでとう。」

小林君は僕らよりも一足早く二十歳になった。

 「乾杯。」

少しずつ雨は強くなっていった。黒田君はじっと小林君の墓をみつめていた。ずっと小林君と対話していたのだろう。僕もそれに倣った。そして二十分、三十分と時は流れて行き、雨はさらに強くなった。それでも僕らは帰らなかった。

 僕は目の前の墓に大きく刻まれている言葉の意味を考え始めた。

「愛するとは

 そのもの

 価値を認め

 いつくしみ

 大切に思う心」

 それまでに何度か墓参りには来ていたが、ずっとこの言葉の謎は解けずにいた。「そのもの」が何を意味するのかがわからなかったのだ。それ以前にこの言葉は誰の言葉なのか、そして誰が小林君の墓に刻もうとしたのかもわからなかった。小林君の事を忘れたがっていた母親の事を思いだした。

 雨もどしゃ降りになり、すっかりびしょぬれになった僕らは何とかその後横浜まで戻り、体を乾かした。そして僕らは別れ際に長い立ち話をした。

 「最近ずっと慎一の事ばかり考えている。」

黒田君はそう言った。聞くと、毎月、多い時には週に一度も小林君の墓を訪ねているという事だった。僕には黒田君の目が少し病んでいるように見えた。故人を思う気持ちが強いのは分かるけれど何かが違うと感じた。

また、黒田君は「最近、女の子を信じられない。」というような事を言っていた。僕は、同じサークルにいる女の子について話した。

 「女の子って、確かに怖い所があるよ。好きな人以外の男の子を傷つける事に全然迷いが無いもん。僕の仲の良い男の子がある女の子を好きになったんだけど、それを知りながら女の子の方はずっと好きな先輩に堂々と甘えてるんだ。仕方ないとも言えるけどそういうところは僕も好きじゃないよ。」

 その4ヵ月後、僕はその女の子と付き合う事になる。

 自宅に帰り、濡れた体を風呂に入って温めた後背負っていたリュックの中身を確かめた。中まで雨が見事に染みこんでいて、教科書やノートがやられていた。しかし、驚いたのはリュックの教科書を入れるメインの部分ではなくサブの所に入れていたトランプの状態だった。雨の水を吸って膨らんだトランプは同じく紙でできている袋を突き破ってしまっていた。全てのカードが変な形に曲がってしまい、もう使う事は出来なくなっていた。

 高校二年の秋だっただろうか。どこかに出かけた帰りに小林君と僕の二人で電車で一緒に帰った事があった。少し時間があり、車内もすいていたので僕は「小林君のマジックが見たい。」と言った。小林君は快くやってくれ、トランプや丸いボールを使ったマジックなどいくつものネタを見せてくれた。揺れる車内という事もあって失敗もあったけれどそれもまた楽しかった。

 自分はマジックなど全然できなかったので、小林君のマジックを見るたび「いいなぁ」「凄いなぁ」と言い続けていると、「じゃあこれあげる。」と小林君はその「マジシャン用」のトランプをくれたのだった。

 それから僕もマジックの練習を始めたものの、結局うまくいかずすぐに挫折をしてしまった。そして小林君が死んでしまってからはこのトランプをお守りがわりにずっとリュック入れて持っていたのだ。しかし、そのトランプが使えなくなってしまったのだった。

 僕はこの時、自分にかかっていた魔法は解けたのだと思った。それは小林君という偉大なマジシャンの魔法だった。

僕にとって大きな存在だった小林君の死。それによって僕はずっと永遠の存在となってしまった彼自身や、死そのものに魅せられていたのだと思った。しかしそれは僕が彼をちゃんと愛している事ではないと気付いた。

 「愛するとは そのもの」

あのお墓の「そのもの」とはそういう意味だったのだと思った。「そのもの」の彼自身を愛すること。価値を認め、いつくしみ、大切に思う事。それが愛するということだと思った。そして僕は胸の奥にいる小林君を愛したいと思った。

 思えば、亜季さんや黒田君からカコさんまで皆、小林慎一という存在で繋がっていた。小林君がいたからこそ亜季さんにも出会えた。そして亜季さんがいたからこそ小林君の事をもっと深く知る事が出来た。三人で行った鎌倉も、皆でやった追悼コンサートも。僕やきっと皆にとってもかけがえのない記憶になったのだと思う。

 「そう、縁だ、これが縁なんだ。」

僕は幸せを感じた。そして僕は自分が不幸でない事に気がついた。そう、僕は何一つ不幸な事は無かったのだ。小林君が死んでしまった事で悲しいことやつらい事はあったけれど、亜季さんと出会えた事を始め、もっともっと大きなものを得た気がした。そして、何より僕は生きていてよかった。僕はまだこの世界に生きていていいんだ、と思った。その全てを小林君が教えてくれた事だと感じた。僕は全てに感謝をした。

 僕は目の前に置いてあるトランプを見つめ、「さよなら」と言った。これまで何度となく告げていたその「さよなら」はこれで最後になるとわかった。僕は小林君の居ない世界を生きていく。そして願わくば小林君がマジックで僕を魅せてくれたように、僕も人に何かを魅せたいと思った。それが何になるのかはまだ分からなかった。でもきっと見付かる気がした。

 僕も黒田君も亜季さんもそれぞれの世界を生きていく。亜季さんとはもう会う事は無いかも知れなかった。でも本当に会うべき時が来たら会える気がした。それでいいと思った。

 窓を開けてみると大雨を降らせていたはずの雲はいつのまにかどこかに消えていた。そして僕はどこかにいるはずの小林君の事を思いながら一面に広がった星空を一人いつまでも眺めていた。

                                    [了]


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