星だけが僕を見ていたvol.4
- Fumiaki Matsubara
- 2017年4月14日
- 読了時間: 12分
4、夏の日のこと
その後も僕達はしょっちゅう会って遊んでいた。そして僕達三人の関係が深まるにつれて、亜季さんは他の第九のメンバーとも関わっていった。黒田君は「亜季の意志だ」と言っていた。そうしていく中で、どこからともなくこんな話が持ち上がっていた。
「慎一の追悼ライブをしよう。」
僕は当初、このライブに対してあまり乗り気ではなかった。僕には東君を亡くしてからずっと感じていた事があった。
「死んでしまった人の影を追い続けたり、その不在を悲しみ続けても、いい事はないし、心が不健康になる。」
自然と影を追ってしまうのは仕方のない事だとしても、わざわざ企画をしてまで悲しむ必要はないと思った。こんな事をしても小林君のためにもならないし、完全に自分達の自己満足だった。その事をみんなは知っていたのかどうかはわからない。でも「やっぱりやめよう」と強く言う人は居なかった。
そういう状況である時、黒田君が話してくれた話がある。それは、葬式後一ヶ月ほどして再び黒田君が一人で小林君の家に訪れた時の話だった。
「こないだあいつの家に行ってきたんだけど、ひでぇの。あいつの部屋に、あいつのものがもうねぇんだよ。」
それどころか、小林君のお母さんは黒田君にすら会ってくれなかったそうだ。黒田君に家を案内したのは小林君のお姉さんだった。
「お母さん、もう慎一の事を忘れたいらしいんだ。あいつの事を考えたり、思ったりするのがもうつらくて・・・どうしようもないんだろうな。」
ショックだった。気持ちがわからないわけじゃない。でもやはりショックだった。
小林君のお母さんは小林君を溺愛していたと聞いていた。姉が二人生まれた後の息子だった。もし交通事故だったり、失意のショックで死んだと思っていたのなら、無理に彼を忘れようとはしなかったと思う。でも心の奥では、自分の家の手伝いの事や家の中の事が死の大きな原因だと思っていたのだと思う。それを認めたくなくて、息子そのものを忘れさることにしたのだと思う。頭では理解できても、僕の気持ちは理解などしたくない事だった。
「もうあいつ、家族にさえ忘れられちゃうのかな。」
小林君のお父さんやお姉さんは違うのかも知れないけれど、お母さんがそうなのだから、家族の中でその話はもうできなくなっているんだろうとも思った。僕にとって悲しい事だった。
「俺達が覚えててやらないでどうするんだよ。」そういう気持ちが黒田君にはあった。僕もやはりそう思った。家族で存在を忘れようとしている小林君の事を覚えていたいと思った。そのためにも、追悼ライブをしたい、そう僕の思いは変わっていったのだった。
そうしていく中、次々と追悼ライブの曲が決まっていった。バンド曲からピアノのクラシックの曲までいろんなジャンルの曲をやる事になりそうだった。元々、皆ピアノを弾くのは得意だったのでバンド曲の合わせが一番の問題だった。ライブをやるメンバーは最終的に僕、黒田君、勝さん、細川さん、小林君のもう一人の親友でもあった長江君、そして亜季さんになった。僕と亜季さん以外はバンド経験が無かったけれど、一度はバンドをやってみたい、と思っている人ばかりだったので、やる気だけはあった。でもピアニストばかりが多くてドラムをやる人がおらず、またボーカルも曲によって入れ替えたかったので曲ごとに演奏する楽器が変わるためなかなかうまくいかなかった。
いや、言い訳するのはやめておこう。あの時のメンバーはやっぱり下手だった。それまでピアノ以外の楽器はまともにやっておらず、ライブのために練習を始めた人ばかりだった。バンド経験者の僕も今まではボーカルとキーボードしかやっていなかったのに、ライブでやる曲はエレキギターかもしくはギターを弾きながらのボーカルだった。亜季さんもバンドでやっていたのはボーカルだけで、要するに完全に初心者バンドだったのだ。それだけに何度も集まって練習をしたのだが、やはりそう簡単にうまくいくはずはなかった。
そんな日々の中、みんなで花火を見に行く事になった。二子玉川での花火大会。それは小林くんの実家のすぐ近くだった。8月25日夜のこと。
勝さんからの誘いを受けて行ったのだったが、いつもと何かが違う事に気付く。
「黒田君は?いないの?」
「あぁ、あいつねぇ。俺はあいつの事なんて知らん!」
勝さんは怒っているような、すねているような口調でそんなことを言った。ここ二、三日で何かあったのだろうか?僕は「どうしたの?」と聞くと、今度はうんざりしたように勝さんは言った。
「あいつまた麻香とゴタゴタ起こしたんだぞ。俺はもう知らんよ」
麻香さんというのは高校時代から黒田君と付き合っていた元第九の女の子だった。最初の頃はお互いがお互いを大好きという感じのカップルだったのだか、高校時代の終わりのほうから、二人は喧嘩しては別れ、仲直りしては戻るという事を繰り返していた。特に麻香さんは浪人生だった上に感情の浮き沈みが激しい人だったので、大学生になっていた黒田くんの事を束縛せずにはいられなかったのだろう。
この時二人は付き合ってはいなかったが、やはり微妙な関係にあった。これ以上のことは説明がしづらいのだけど、とにかく黒田君は麻香さんにいろんな隠し事をしていた。麻香さんはそれに怒って勝さんを始めいろんな人に電話で問いつめたらしい。面識の無い亜季さんにもいきなり電話をしたらしく、ちょっと異常なくらいだった。「こんな事になったのも黒田と麻香の恋愛関係のこじれのせいだ」と勝さんは怒っていたのだった。
僕はその事に怒りという感情はなかったけれど、「またか」という諦めの気持ちがあった。黒田君のことは好きだし信頼もしていたけど、この彼女との関係にだけは何か釈然としない思いがあった。実際、黒田君と二人で話している時も、僕は敢えて自分からは麻香さんの話題はあまり出さなくなっていた。他の第九のメンバーもそうだったと思う。
皆元々第九のメンバーとは言え、性格などのタイプで言えばみんなバラバラだった。仲良しというより、一種の連帯感だったり仲間意識の強さだったりするもので繋がれていたところもあったように思う。だから僕や他のメンバーも勝さんが黒田君に腹を立てているのを見て、敢えて黒田君を呼ぼうとはしなかった。
そういう形で結局その日は黒田君抜きで花火大会に行く事になった。ただ、集合時間から花火大会が始まるまでに時間があったので僕らはまたカラオケに行く事になった。
亜季さんと渋谷で会った時に行ったことを思い出した。相変わらず亜季さんの歌はうまい。「ライブでやりたい」と言っていたジュディマリの「そばかす」を一番最初に歌っていた。それに刺激を受けた勝さんはうら声でジュディマリを歌い、細川さんは小林くんも好きだったTMNの曲を歌っていた。
僕はというと、何の曲を歌っていたのかを思い出せない。それはあの日初めて気付いた事があったからだと思う。
「亜季さんが好きだ。」
言葉にすると簡単な事なのに、あの時の僕はそれに気付き驚いた。正確にいうと、今までそれに気付かなかった事に驚いたのだった。
元々、僕にとって亜季さんは小林くんの恋人と思って接してきた。ある意味「忘れ形見」みたいな捉え方をしていたように思う。さらに黒田君と亜季さんの関係もあって、自分の亜季さんへの感情など考えてみた事もなかったのだ。この日初めて黒田君抜きで彼女に会い、一人の女の子として見て、やっと僕は自分の本当の想いに気付いたのだと思う。でも、その時は
「なんで気付かなかったんだろう。」
ずっとそう思っていた。好きになる理由ならいくらでもあった。でも、歌が上手いだとか顔がかわいいとか、そういった事とはまた別の理由で彼女に惹かれていた(というのも、そういう理由で人を好きになった事があるからだが)。その理由を言葉にするなら、彼女を包み込む空気そのものだと思う。その空気は彼女のもつ元々の雰囲気なのか、それとも小林くんを亡くしてしまってからまとったものだったのかはわからない。でも歌を歌う亜季さんを見て「好きだ」と思ったことは事実だった。そしてそれはすごくきれいな感情だった。
カラオケが終わってお酒やおつまみを買っていた時にも僕はまだその事を考えていた。自分の気持ちの変化から亜季さんへの態度が変わってしまわないかが心配だったが、幸いその時はまだ普段通りに話せていた。それにこの日は五人くらいの集団だったので男女で離れて話す事が多く、亜季さんとの接触が少なかったせいもあると思う。僕達は何事もなく花火のよく見える川原まで歩き、そして花火があがるのを話しながら待っていた。
二子玉川は思い出の場所だった。
二年近くも前の事だったが、僕と黒田君は小林君の住む二子玉川へ行き、三人で川原でいろんな話をした事があった。基本的には、高校のウィンターキャンプという行事で自分達が主催する企画について話しに集まったのだけれどその内容はよく覚えていない。むしろ、どこまでも続いてゆくかのような二子玉川のその景色とゆったりとした時間の流れに身をまかせていた事を記憶している。
小林君の家には行かなかったけれど、近くのゲームセンターでパンチングマシーンを叩いたり男同士でプリクラをとったりした。休みの日に三人で会ったのはこの日が最初で最後だったように思う。
いつの間にか花火はあがっていた。花火を打ちあげるとことからは少し離れているらしく、僕達以外の人影はまばらだったけれど、夜の花は小さいながらも僕達にきれいな姿を見せてくれた。咲き、そして散ってゆく花びらをただ見つめながら、新たに咲く花にまたみとれた。この時はきっとさっきまでの想いを忘れていたように思う。みんなあまり喋らず見入って、ただ時を忘れた。
花火の後、お酒を飲みながらみんなではしゃいだ。特に勝さんや亜季さんはすごく楽しそうにしていた。このメンバーがこんなにも早くただ笑い合えた事が僕は幸せだった。それは、少し飲んだお酒のせいだったり、花火のせいだったりするのかもしれないけれど、確かにあの日、「影」は消え去っていったように思う。そんな、夜だった。
ある時、勝さんが亜季さんを追いまわしている姿が目に入った。ただはしゃいでいるだけだったのだけれど、急に心が苦しくなった。少し迷ったけれど、僕は二人の元へと向かっていった。
あの時の僕は何を考えてたのかわからないけれど、三人ではしゃいだ後、亜季さんを連れだすようにして、二人きりになった。コの字を左に倒した形の金属製の手すりのようなものに座りながら、他愛のない会話を始めた。この時も僕は普段通りに喋っていた。少しお酒が入っていたせいもあるかもしれない。途中、バンドの曲の事に話が及んでいくにつれて連、だんだんと小林君の話になっていった。亜季さんはこんな事を言っていた。
「最初は忘れようとしたんだけど、今はそんな事はないの。どうしても忘れられないのなら好きで居続けたほうがいいと思ったの。」
僕も小林君のことを好きで居続けたいと思っていた。「女の子を不幸にするなんてバカだ。」と冗談のように本気にようにそう思ったり、口に出して言ってみたりしたけれど、そんな想いよりもずっと大きな気持ちで好きで居続けたかった。
その時はあまり気付かなかったけれど、「好きだ」という想いは小林君のためのものではなく、あくまで自分達のためだったと思う。忘れられない事なら、「どうして死んでしまったのか。」「自分は止められたんじゃないか。」と悩み続けるよりも、ただ「好きだった」「好きだ」と思う事である意味で「思い出」に変えようとする気持ちだったのだと思う。あの時の僕は「いい意味で影を追いたい」と考えていた。
「でも今、あの人は居ないから・・・何で会っちゃったんだろうって思う。」
星だけが僕を見ている。右隣に亜季さんがいる。
「僕は亜季さんの事が好きで、亜季さんの助けになりたいと思ってるけど、でも僕じゃ助けにならない。」
最後は独り言のようだった。
「私も松原のこと好きだよ。」
僕は亜季さんの方を見た。笑顔でこっちを見ている。「えっ」と聞き返す。「どういうこと?」という言葉を飲み込めず声に出して言っていた。慌てていた。
亜季さんはずっとニコニコしながらこっちを見ている。僕の反応を見て笑っていた。
「えっ、そういう事でいいの?」
僕は聞く。うなずく、恋人。
ちょっと前までの真面目な空気は何かが吹き飛ばしてしまっていたみたいだった。月の光だけが照らしていた夜の景色はいつのまにか脈を打ち始め、色づき始めていた。
「えっ、それでも清純な付き合いじゃないと駄目だよね。お互い、小林君のこと好きだし。」
いつのまにか笑顔になりながら変な事を言い出す僕。
「じゃあ、どれくらいまでならいいの?」笑いながら聞く亜季さん。
「このくらいまで。」
と言って僕の右手は亜季さんの左手を握った。小さく、温かな、手。
亜季さんの顔は恥ずかしくて見れなかったけれど、きっと二人はすごくニコニコ笑っていた。僕はそれまで、あんなに嬉しい気持ちになった事はなかったと思う。手を繋いだ事で心まで通じ合っている気がした。
僕は亜季さんの事が好きだと気付いてからたったの二時間で生まれて初めての「告白」のようなものをし、そしてその恋は報われ、こうして手を繋いでいるのだった。本物の夢のような事がこうして現実として起こっている事が不思議で、何より嬉しかった。僕は「すごく不思議な感じ」だと亜季さんに伝え、それを亜季さんは笑顔で答えた。言葉はいらなかった。
そのうち、他のみんながこっちに向かってきた。手を繋いだままの二人を見て、少し驚きながらからかってくれた。そして駅に向かう道でもみんなは僕らを二人きりにさせてくれた。二人も手を繋ぎながら話して帰った。みんなに祝福されているようで嬉しかった。何より隣に亜季さんがいて幸せだった。
先に、僕はみんなと違う路線で帰ることになった。送りに来てくれた亜季さんに「じゃあね。」と別れを告げて改札を抜けて、そのままホームへと続く階段に向かうはずだった。でも僕は改札を抜けて三メートルぐらいのところで振り返り、そのまま立ち止まってしまった。「離れたくない」と思ってしまった。もっとこの夜を続けていたかった。亜季さんをみつめたまま動けない僕。
すると、動けない僕を察して亜季さんの方からその場を離れてくれた。「しょうがないなあ。」という笑顔でこっちを見ながらバイバイをして、僕から見えなくなる角のところで僕に向かって投げキッスをした。驚いた。
動けなかった僕にとって最高の別れ方だった。そして帰りの電車の中でもいつまでもその姿を反すうし続けるのだった。
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