星だけが僕を見ていた vol.1
2002~2004年に書いた自伝的小説です。まずは「星だけが僕を見ていたvol.0」よりご覧下さい。
1、椎名亜季 あれから三週間がたった。僕は葬式の次の日こそ予備校を休んだが、それからはまた受験勉強の毎日へと戻っていった。 予備校の友達とも今までと変わらず、くだらない話をしたり、カラオケやボーリングで遊んだりしていた。もちろん、多少自分に無理はしていたのかもしれないが、自分自身しっかりしなきゃという思いが僕の中にあり、それがいい方向に出ていたのだと思う。小林君の事を忘れる日はなかったが、影は少しずつ薄らいでいった。 僕ら元「第九」のメンバーはあれから一度だけ集まった事があった。その時は黒田君、勝さん、細川さん、僕を含めて6人だったと思う。黒田君がみんなを集めた。小林君の死の真相を話すために。 小林君は東京理科大学薬学部というレベルの高い大学に進学していたのだが、とにかく勉強が忙しかったらしい。マジックのサークルに入っていたが、それにもあまり出られずにいた。 そしてそれ以上に大変だったのが、家の手伝いだった。クリーニング屋を自宅で営業していて、新しくバイトの人が入るまで彼が代わりに手伝っていた。 完璧主義だった小林君にとって、その生活は限界を超えていた。そのため、カコさんとも会う時間がほとんどなくなって電話で話すぐらいだったらしい。 しかし、その電話の会話も小林君の疲れによる苛立ちからぶつかり合う事が多くなり、二人はうまくいかなくなってしまったそうだ。 カコさんのほうから別れると言い出した時、小林君はそれを拒否した。精神的にも肉体的にも疲れ切った小林君にとって、カコさんは決して失えない人になっていた。最終的に別れることになって三日後、小林君は自宅の三階のベランダから飛び降りた。 「自殺・・・なの?」 誰かが言った。僕は通夜の小林君の母親の反応からうすうす疑っていた。 東君も自殺だった。彼はその前の年の秋、自分の家から遠く離れた縁もゆかりもないマンションの6階から飛び降りた。発見されてから身元がわかるまでに時間がかかり一ヶ月も行方不明ということになっていた。 「いや、多分違う。」 黒田君が言った。みんな黙って聞いた。黒田君はゆっくりと言葉を選んだ。 「本当に死ぬ気があったなら、高い建物から飛び降りるとか、電車に身を投げるということをしたはずだ。ただ、自分の部屋にこもってて鬱(うつ)になって魔がさしたんだと思う。きっと、死のう、と思ったんじゃなくて、楽になりたかった。大けがをして今の生活から離れたい、もしくはカコさんに心配してもらいたいと思ったんじゃないか。でも、普通だったら死なないはずの高さでも、今回は本当に運が悪かったんだ。」 僕も話を聞きながら黒田君の意見に賛同していた。そうだと思った。どんなにひどい状況でも、あの人が自分から命を絶つとは思わなかった。少なくとも思いたくなかった。僕にとってあの人は特別だった。あの人が死んでしまってから、その思いはより大きくなっていった。 黒田君は次の日、小林君の家を訪ねてお母さんから話を聞いたらしい。息子の死に相当なショックを受けていたお母さんは、普段なら(というのも変だけれども)絶対に言わないような事情も話したそうだ。 最終的に、本当の事を世間やみんなには言えない、ということで死因を交通事故ということにしたらしい。仕方のないことだろう。 「ここにいるお前らには言っといたほうがいいと思って話した。」と黒田君は言った。小林君のお母さんはカコさんを恨んでいたそうだが、僕は誰も責める気にはなれなかった。ただ、この話を受け入れて皆と同じように思いにふけるだけだった。 あれからまた久しぶりに黒田君と会うことになった。今度は二人で。話したいことがあるという。 「慎一の二番目の彼女の話、覚えてるか?」 椎名亜季という人の事だ。ちなみに、「二番目」というのは二人目につきあった子、という事ではなく、二股をかけている二人目の彼女、という事だ。 ただ通夜にも来ていなかったし、黒田君からは、現代風の軽い子で小林君にとってもその子にとっても「遊び」でつきあっていたんじゃないか、と聞いていた。 黒田君はその子と会った事はなかったが、小林君のお母さんからメールアドレスを聞いていた。黒田君は、一度話を聞きたいと思ってメールをしたのだそうだ。 椎名亜季さんはカコさんの高校の後輩だった。二人はとても仲が良く、先輩、後輩、という関係ではありながら、親友とも言える仲だったらしい。 小林君と知り合ったのも、カコさんの「彼」と三人で一緒に遊んだことがきっかけだった。そこからいわゆる「三角関係」になったのだと。それだけでも十分僕の中では大きな事実だったが、それから先の話には驚いた。 「俺、今その亜季といろいろあってね。」 何だか照れくさそうに黒田君は話を続けた。メールは、最初は小林君の事を聞いていたらしいのだが、一週間、二週間とメールを続けるうちにお互いの存在が大きくなっていったそうなのだ。そのうち二人で会う事になり、二回目に会った時はキスを、三回目に会った時には一夜を共にした(もちろん、大人の意味で)。つきあう、つきあわないの話などなく自然とそうなったのだという。 僕は驚くと同時に何故か嬉しくなっていた。素敵なことに思えたのだ。黒田君は小林君の親友で、椎名さんは小林君の彼女だった。小林君に魅かれていた二人が、こうして出会い惹かれ合ったことを素敵だと思った。 もちろん会ってすぐに関係をもつことは僕の若い倫理観から外れていたし、死んでしまった人とは言え、その人の彼女に黒田君が手を出したことに反感はあったが、それもあまり大きな事とは感じなかった。 後になって思ったのだが、小林君の死後、彼とすごく距離の近かった二人は僕よりもずっと大きな闇に侵されていたのだと思う。 僕は感情のままに泣き、通夜、葬式、火葬場までを全て見届けた事で「もうやれることはない。やれるだけの事はやった。」という気持ちがあった。だからこそ、少しずつでも立ち直り始めていたのだろう。 でも二人はずっと小林君の影を追っていたのだと思う。それに、椎名さんは「カコさんや小林君の母親とは会いたくない」という理由で葬式にも来ていなかった。小林君の死を認めたくないという理由もあったのだろう。とにかく小林君の死を直視しないままでいた。そんな二人だったからこそ、この出会いは必然だったのかもしれない。 一夜を共にした二人だったが、椎名さんは「違う」と感じたらしい。闇に包まれていて現実を直視できていなかった自分に気付いたのかもしれない。理由は他にもあるのだろうが、黒田君には友達でいたいと告げ、黒田君もそれに応じた。三日前の事だったそうだ。 はぁ、と僕はため息をつくだけだった。黒田君の口から出てくる話についていくのが精一杯だった。頭では理解できるのだが、心がついていかない。しかも、黒田君はその椎名さんと僕達元第九のメンバーを会わせようとしていた。 「これからどうなるんだろう。」 世間はもうとっくに夏休みに入っていた。セミの鳴き声もうるさいほど聞こえているはずだった。しかし、その鳴き声もどこか遠くで鳴っているかのように、どこかうつろに感じていた。 町田で会うことになった。黒田君が第九のみんなに連絡をとり、一番早く集まれる日にみんなを集めた。僕が黒田君と話をしてから三日くらいしかたっていなかった。椎名さんが「会いたい」と言ったのだという。 当日、僕は少し緊張していた。僕はもともと初対面の女の子と話すのが苦手だったのに加え、今回は相手が小林君の(元)彼女。それに加えて黒田君のこともある。風貌も金髪でコギャル(今となっては死語)風らしく、黒田君が「いい子」だと言っても、高校時代そういう女の子と接した事がない僕にとって、どんな子なのかイメージが全然沸かなかった。 待ち合わせは夜七時ぐらいで僕は黒田君の次ぐらいについたようだった。その後も一人二人と集まってきたが椎名さんの姿はない。ずっと目線はそれらしき子を探していたはずだった。ただあの時、夜の町田が少し暗かったせいかもしれない。後ろを振り返って見るまで、二メートルも離れていないところにいる椎名さんに僕はすぐには気がつかなかった。 きれいな子だった。丸っぽい輪郭をしていて、どちらかと言えば「かわいい」系の顔立ちだったが、その時はほとんど無表情だったせいか、神聖な感じか、あるいは幽霊のような感じにも見えた。圧倒的な存在感ではなく、ひっそりと。ただ確かにそこには椎名さんという人がいた。 僕達はみんな集まった後、予定通り夕食を食べることにした。が、なかなかお店が決まらず結局マクドナルドで食べることになった。 椎名さんが来てから、どことなく皆、ぎこちない。無理のないことだった。黒田君との事をその時まだ僕以外の人は知らなかったとはいえ、あの「小林君の彼女(二番目)」だ。最初こそ自己紹介などをしていたが、話題、というか話が途切れがちになり始めた。 話すことなら決まっている。小林君の事をしゃべればいい。しかし、それはなかなか難しいことだった。何て言って聞けばいいのか、という事もそうだし、その話題を下手に出して場を暗くしたくもなかった。 そんな感じで僕はあまり話せずにいたが、さすがに黒田君は普段通りの落ちつきで話を進め、女の子どうし、細川さんと椎名さんは仲良くなっていったように見えた。 その中でやはり時々は小林君に関係する話が出た。話、というよりは話の流れからでた発言というべきだろうか。そういう話の流れの中で、椎名さんが一言何かつぶやくように言うことがあった。 内容は覚えていないが、その度に場の空気はゾッと冷たくなった。怖さ、とうか凄み。本当の悲しみを間近で見た人の凄み。 後に知ることになるのだが、椎名さんは小林君が死ぬ直前に、PHSにメールを受けとっていた。カコさんと別れ、精神的に追いつめられた小林君からだった。 その内容は「死」という言葉こそ使っていなかったが、十分にそれを予感させるようなものだったらしい。椎名さんは少したった後にそれに気付いてメールを返したが、小林君から返事が返ってくることはなかった。椎名さんは自分が返したメールを見たのかどうかをすごく気にしていた。 「もし、自分のメールを見たのに飛び降りたのだとしたら、あの人にとって、私は。」 二時間ほどたって、皆マクドナルドを出て解散することにした。椎名さんはまだ高校生だし、あまり夜中に連れ回すわけにもいかなかった。 椎名さんが帰ってからも、残りのメンバーはずっと立ち話をしていた。といっても話したい事があるというよりも、ただこのまま帰るにはなにか釈然としない感じがしていただけかも知れない。 「会えて良かったのか、会わない方が良かったのか。」 そんな風に僕は思っていた。どちらかというと後者だったろう。もう椎名さんと会う事はないかもしれない、とも思っていた。しかし、その予想に反してすぐにまた僕は椎名さんと会うことになる。